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2021/09/13 14:10



宇野です。今日はモノノメ 創刊号の「都市」特集の冒頭の部分ーー僕が特集のコンセプトを解説している文章ーーを特別に公開します。まだ草稿段階のものなので、載るものは結構変わる可能性があるのですが、なぜ、このコロナ禍のタイミングで「都市」を特集するのかは、これを読むとよく分かってもらえると思います。結論から述べると、僕はコロナ禍「だからこそ」この特集を選びました。ちなみに次の号は今の所「身体」論を特集にしようかなと思っています。その理由も、下記の文章をよく分かるのではないかと思います。それでは、少し長いけれど読んでみてください。

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 この雑誌の創刊号の特集のテーマには「都市」を選んだ。けれども、最初に断っておくべきことがある。たとえば僕たちは21世紀を席巻するであろうグローバルなメガシティ間の競争とそれに対応するための有り得べき都市開発のビジョンといったことにはあまり、興味がない。そしてその反対側から都市を見ることーー地域コミュニティを振興するためにワークショップとアート展示を重ねて、住民とクリエイターの交流を図るといった類のことーーにも同じように興味がない。僕たちが考えたいのは、もっと本質的なことだ。
 情報技術の発展とネットワークの整備は、この四半世紀で空間の定義すらも変えつつある。このとき果たして僕たちが長いあいだ「都市」と呼んできたものの性質は根底から覆るのではないか。

 たとえば僕たちは都市に接続することで、自分が一人の独立した個であることを確認してきた。家庭や職場から切り離されて、一人の人間として活動する時間を手に入れてきた。そのことが、共同体の一部ではなく一人の独立した人間として社会にかかわっていることを自覚させていた。しかし空間の移動はもはや、この「個」であることを確認できる時間を確保することを意味しない。そもそも同じ空間にいることが、その対象とコミュニケーションを取ることを保証しない(僕は今、高田馬場のカフェにいるがこの文章を、香港の友人とチャットしながら書いている)。もはや都市は、人間が何ものでもない誰かになれる場所ではなく、僕たちは常にスマートフォンに着信する家庭からの、職場からの、そして「世間」からの通知にまとわりつかれて生きている。

 あるいは、かつて僕たちは都市に接続することで目当てのものではないものに偶然出会い、会うつもりのない人に出会ってきた。しかしこの前提は既に崩されて久しい。実際にコロナ・ショックでそれが強制終了される前の10年は、あらゆるシーンにおいてーー政治運動から「インスタ映え」消費、音楽フェスやアイドルの握手会までーー人間がSNSによって実空間に「動員」されていた10年だった。もはや実空間はサイバースペースの延長にしか存在しなくなったのだ。
 そしてハッシュタグを検索して、「動員」されて街に出てきた人は、そこでどれだけ雑多なものを目で見、手で触れても目当ての物事以外は意識できなくなっていく。今日においてはもはや「広場」も「街頭」も検索窓とハッシュタグの先にある。それはそこが既に交通事故のように予想外のものに出会う場所ではなく、予定調和だけが待つ場所になっていることを意味する。

 そう、世界人類は圧倒的なスピードでその生活空間をメガシティに集中させるその一方で、実空間は、都市という場所そのものは、その力を低下させていったのではないかーーそう、僕は考えている。人間を居住させ、給餌し、繁殖させる装置としての都市が肥大する一方で、公共心と創造性の培養装置としての都市はいま、情報ネットワークからの侵略を前にいまその力を失ないつつあるのではないか。

 多くの人がいま、こう考えている。閉じた情報ネットワークの外部としての実空間がいま重要なのだと。そこで人間と人間が接触することこそが公共性を育み、豊かな文化を生み出すのだと。しかし、それは甘い認識だ。観光客たちが、目当ての物事の写真をハッシュタグをつけてInstagramに投稿して満足して帰るように、検索してたどり着いたそこはSNSを中心に展開する閉じた相互評価のネットワークの外部ではなく、その一部に過ぎない。そこで人は、何ものにも出会うことはできない。重要なのは物理的な空間に身体を運び、そこで事物に接触すること「ではない」。そのことによって、ネットワークの裂け目に、穴に、触れることだ。空間的に特定の場所に身体を置くことではなく、そうすることで時間的に自立することだ。情報技術を用いた、世界中の人間の時間を同期させる力に抗うことだ。

 僕はコロナ・ショック以降の東京をーー特に2020年の最初の緊急事態宣言下に見られたあの無人の東京をーー走りながら考えていた(僕はランニングが好きで、よく都内を走っている)。場所がその力を取り戻すために必要なことはなにか、と。僕は思う。それはたぶん「つながらない」ことだ、と。

 世界はいま、一枚のゲームボードの上に統一されていて、誰もが同じ時間を共有し、同じ話題に言及している。そして、そのために世界から多様性は失われつつある。どれだけ多様性の政治的な保護が必要だという意見が拡大しても、その一方で人々の振る舞いそのものは一様になっている。閉じた相互評価のネットワークの中で、誰もが他のプレイヤーからの関心を集めようとしている。その結果として既に多くの他の誰かが話題にしていること以外に言及する価値が目減りしていく。こうして、世界はボトムアップの全体主義に近づいていく。実空間がサイバースペースに飲み込まれたいま、この閉じたネットワークの外部は消失している。この状況下において、僕たちの暮らす場である都市が価値を生むために必要なことはないか。

 無人の都市を走りながら、僕は考えた。ここには人間がいない。だからこそ、可能性がある。孤独に世界をと向き合う時間がある。街を走るランナーたちはの目的は「走ること」そのもので、誰かに会うとか、何かを買うとか、そういったことのために街に出ているわけじゃない(ハッシュタグに「動員」されていない)。だから走るとき、目の前にある街の風景そのものを強く意識する。道が、建物が、木々が、虫たちが、商店に並べられた物品たちが、ハッシュタグのつかないむき出しのかたちでそこに現れる。人はいない街では、特にそうだ。走るとき僕は他のどのような時間よりも、たくさんのものごとに出会っている。閉じた相互評価のネットワークから切断された時間だからこそ、「走ること」そのものが目的であるからこそ、ものごとそのものに触れることができる。しかし、かつての都市はただ歩いているだけでもこうして人を孤独に、匿名に、して鋭敏にしてくれる装置だったのではないか。

 僕たちはずっと「つながる」ために都市を用いてきた。しかし、いま必要なのは「つながらない」ための都市なのではないか。いま僕たちの世界から急速に失われつつある時間的な「自立」を、僕たちが暮らすこの都市というシステムをどう扱い、どう変えることで回復できるのか。それが僕の問いだ。「つながる」ことなど、インターネットに任せてしまえばいい。僕は「都市」の話がしたい。 






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