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2021/09/13 15:12



宇野です。今回、新しい雑誌をそれも定期刊行でやっていこうと考えたとき、真っ先に決めたことがあります。それは、Twitterの動員ゲームに積極的に参加している人は呼ばない、ということです。ある問題があったとき、問題を解決したり問題自体を問い直すことはせずに「この話題にYESかNOかどちらかに賭けたら得をするか」とか、「負けそうな方を冷笑するとプライドばかり高いコンプレックス層をうまく動員できる」とか、そんなことばかり考えているジャーナリストや言論人や批評家は絶対に寄り付かせない、ということです。

そうではなくて、きちんと問題そのものにコミットしていてそれでいて、専門領域に閉じこもることなく横断的にその仕事を展開している人を積極的に呼ぶ。それを最初に決めました。そして最初に浮かんだのか、福嶋亮大さんでした。彼は僕がもっとも信頼する同世代の知性であり、そして、僕の知る限りもっとも誠実に「問題そのもの」に向き合っている人物です。彼とは古い友人ですが、数年前から「文学」の枠組みを問い直すようなものを書いてもらえないか、と話していました。

福嶋さんのデビュー作『神話が考える』の延長で、小説という表現の現在の全体像と、その向かう先を現代の情報技術やインターネットによる「言葉」を用いたコミュニケーションに変化を前提に論じる……といったイメージを僕はもって打ち合わせていたのだけど、しばらくして送られてきた原稿は、僕の想像を大きく超える長い射程のあるものでした。

噛み砕いでいうと、福嶋さんのこの文章は「小説」という人間が言葉(のみ)で物語を記述するという行為そのものを、まず「言葉」と「心」の関係を考え直すことで定義し直す、という試みからはじまります。要するに、人間の心の機能の特徴が生んだもの、たとえていうならプログラムのエラーが「小説」という行為を生んでしまい、特徴づけているのだと福嶋さんは主張します。

そして、最後まで読むと分かるのだけれど、これも井庭さんの論考と同じように、大きな著作の序章的な位置づけになっています。つまり、福嶋さんはここで、小説という膨大な蓄積をもつ表現を語っていく上で、ひとつの基準となるものさしというか、原理論を作り直そうとしている。いわゆる文芸批評的な作品論にはあまり関心のない人、でもインターネットに吐き出された「言葉」の「心」への影響とか、そういったことに興味のある人なら、かなり面白く読める、というか衝撃を受けるはずです。今号でいちばん、読んでほしいページのひとつです。

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